初心者でも税理士 新宿区がはじめられる!
福島県と栃木県の県境のあたり、那須高原の東はずれ、3百年前、芭蕉が奥の細道紀行の第一歩をしるした白河の闘が遠くに望める小高い丘の上だ。
夜だけ気ままに昼ざんまい使い道もなさそうな火山灰地の山林を切り開いた別荘分譲地4百坪が50万円。
日本列島改造論による第一次土地投機バブルの始まりのころだったとはいえ、これは天の助けの格安値で小躍りした。
望遠鏡の格納庫のような建物も百50万円で契約、これも格安、小躍りしたが、この方は一緒に躍りながらみごと業者が倒産、資金の半分ほどを持ち逃げされてしまった。
そんな浮世の荒渡にぼう然としているのを気の毒がったのか、地元の大工さんが大損しながら工事を引き継いでくれ、星仲間連中も自らコンクリート打ちにエンヤコラ汗を流し、望遠鏡メーカーも手作り望遠鏡に手を貸してくれた。
そんなおおらかな時代の気分にも助けられ、星仲間のたまり場「白河天体観測所」はとにもかくにも船出したのだった。
類は友を呼ぶ。
今や星仲間は30人を超え、旧暦にしたがってやる7夕や中秋の名月など観測所の集まりは、それぞれ地元の名産、地酒を持ち寄り星の話題を肴に一夜を明かすことになる。
それで「観測所」の呼び名は、ナマつての発音で、正しくは「歓食所」と発音するのが正しいというのがメンバーたちの共通見解となっている。
ブラックホールのような「所」というわけである。
そのメーンディッシュ「アストロ鍋」は、今や世界の星仲間たちにも知れわたり、楽しみに立ち寄る外国の星好きもいて、歓食所の、夜だけの田舎暮らしはまたもや大いに盛り上がりをみせるというわけである。
星仲間たちの夜のたまり場、白河天体観測所のメンバーには、天文学者の大先生もいれば、大会社の社長さんもただのサラリーマンも、商庖主も土建屋さんも、画家も作家も学生も、もちろん女性の方もいて昼間の顔はなかなかに多彩だ。
会員名簿も規則もなく何もかもが暖昧模糊、気ままに漠然と運営されているというのが実態だ。
ここに来てまで俗世間の肩書、しがらみにまとわりつかれては「たまらん」というわけである。
「代表の一人くらいは」というので、私が飼っているチロという北海道犬だった。
都会からやって来る気の弱い星仲間たちにとって、森の夜道の観測所通いで、チロは一番頼りがいのある有力メンバーだったからである。
こうして生涯12年にわたり、チロは所長犬として活躍し、今もその座は「永久欠番」となっている。
チロは、なかなかの美人犬で押し出しもよかったから、「ほ、ほーっ、立派な天文台長さんで」と、世間の人々にも観測所の「精神」は大いに理解してもらえるものとなったのであった。
夜だけ気ままに星ざんまいチロが亡くなったとき、「チロ天文台長さんのメモリアル大望遠鏡を手作りしようではないか」というビッグな提案が持ち上がった。
口径は84センチ、それが1984年だったから、というごく単純な理由からだったが、当時、これは素人が手作りするには常識外れの大ききだった。
が、そこは根がやじ馬集団のこと、観測所の居聞の畳ははがきれ、たちまち鏡菌研磨工場へと早変わりした。
東京・浅草橋のガラス切り名人の老職人は、そう言って船窓用の1メートル4方の4角いガラス材をレンズ状にみごとに丸く切り出してくれた。
ガラスの表面を凹面鏡にへこます作業は、大雨の降りしきる森の中で、メンバー全員、水中眼鏡にマスクといういでたちで行われた。
グラインダーで飛び散る粉末よけのためだったが、通りかかった農家の人が悲鳴を上げて逃げだしていったのは、あの火星人と勘違いしてのことだったにちがいない。
難問は、凹面鏡の表面をピカピカにして星の光を集めるためのアルミメVキの工程だった。
業者の見積もりはなんと150万円。
手作り望遠鏡もこれで行きづまったかに思えた。
ほど、仏具屋さんなら金銀メッキはお手のもののはず。
こうして持ち込まれた巨大鏡には仏具屋さんも、「このくらいはいただきませんと」と、さも気の毒そうに差し出された請求書には「8千円」とあって、こちらが仰天したのであった。
かくてチロの供養望遠鏡の「目」は見事に開眼し、さらに足ともなる「台車をつけよう」との大胆かつ奇想天外な提案まで飛び出してきた。
そうすれば星空のきれいな、全国どこの田舎にも出かけられるではないか、というのである。
実際、観測所周辺にも工場や夜間照明付きのレジャー、スポーツ施設が進出し、光害対策に頭を痛め始めていたところだったから、これは光害から逃げるが勝ちのグッドアイデアでもあった。
全国の星仲間たちからは「星の出前」の注文が寄せられるようになった。
根が物好きのメンバーたちだから、夏のスタiウォッチング・シーズンになると会社勤め、家業そっちのけで、「星空キャラバン」を組んで出かけることになった。
「お代は見てのおかえり」ではなく、地元名物のごちそうにあすかれるなら、という唯一の条件付きである。
全国あちこちの田舎暮らしを楽しませてもらっているというわけである。
文台との電話のやりとりに耳を傾けながら、いささか興奮気味だった。
テープカットがわりのセレモニーとしゃれこんだわけである。
数1,000キロも離れた2地点から同時に月を写すと、視差のため月の模様は少しズレテ写る。
その2枚をステレオ写真に仕立てると、月が丸みをおび、浮かんで見える。
地上最大スケールの立体写真のできあがりというわけだ。
今、その立体写真撮影の長年の夢が実現したと、日豪の星仲間たちは肩を抱きあい、喜びあったのだった。
もう十年も前のことになる。
1986年は706年ぶりに戻ってきたハレー善星の話題で世界中がフィーパーしていた。
日本からは南に低すぎてよく見えない。
そこで、台車付きのチロ望遠鏡を丸ごとオーストラリアに移動させ、衛星放送で日本の茶の間にハレー馨星の雄姿を届けようという企画が日本ハレー協会で持ち上がった。
やや小ぶりな口径50センチの2代目チロ望遠鏡が白河天体観測所の居間兼望遠鏡工場で急きょ手作りされ、オーストラリアに航空機で届けられた。
現地では日本からの大勢のツアーの人々にもハレー馨星の美しい姿を楽しんでもらえたのだが、世話役の星仲間たちの目には、南半球の星空の輝きの美しさの方がハレー馨星以上に衝撃だった。
南十字星や天の川の輝きで、深夜、地上に淡い物影ができるのである。
日本ではとっくに失われた「星影」の世界が、ここにはごく普通にあるのだ。
人工衛星から撮影した夜の地球に明るく浮かびあがる光害列島日本、そこから脱出して太古そのままの暗闇で星空を眺めたい。
かねての夢は地元の星仲間たちを巻き込んで一気にふくらみ、日豪の共同プロジェクトの天文台づくりは走りだしたのだった。
星仲間たちは地球上のどこにいようと同じ星を見、宇宙を眺めている。
あの日本人字宙飛行士として初めてスペースシャトルの船外で宇宙遊泳をみごとやってのけたわれらが星仲間のD井隆雄さんが宇宙から眺めた星空だって同じだ。
だから宇宙のことなら、たちまち意気投合してしまう。
が、地上のことになると多少の国際摩擦や異文化による食い違いが起こるのは致し方ない。
夜だけ気ままに星ざんまいふだん土地問題に痛めつけられている日本側は、百坪もあれば十分となんとも意気地がない。
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